時計はいつでもする
ブログのアイコンは私がいつもしている腕時計だ。
いつもというのは、言葉通りの意味で、家の中でも四六時中、風呂に入る時も寝る時もしている。
時間を見るにしたってスマホをポケットが出す手間は億劫である。
時間を見るよりそれよりも、タイマーとして使う用途が多い。
いつでも25分のタイマーをセットしてある。
25分というのは、人が集中力を保つことができる時間。
タイマーを押したピッという音が私の集中力のスイッチとなっている。
この時間内で集中力を持って物事に取り組んでいくというスタンスをとっている。
勉強や軽い運動、パワーナップ昼寝、さぼり時間の管理、マインドフルネス瞑想、などに使うことが多い。
お風呂に入るときもタイマーを使用する。
浴槽に浸かる時間が短かすぎたり、長すぎて時間を浪費したりしないためである。
寝る時にしているのは、途中で起きた時に時間を知りたいというのはあるが、まあただの習慣によるところが大きい。
時計をずっとしている習慣は、私はおすすめしている。
理由は単純明快で、人生これすなわち時間であるから。
実は時間を意識するというのは慣れない人には、意外とエネルギーを食う所作である。
時間を気にせずにやりたい。
そういう人は多い。
これはおそらく人に管理された時間のことで、そのプレッシャーが嫌だということである。
ただ実際は、時間を制限すると集中力は高まる。生産性が上がる。
ポイントは自分で制限をかけて、これを習慣化することである。
そのためにいつでも腕時計をして、タイマーをかけるやり方はおすすめしたい。
慣れるとこれが非常に心地よいと感じるようになるから。
やっとアクセスが出てきた。
100記事書いてやっとアクセスが出てきた。
100〜500文字のライフハックブログみたいなものを100記事書いて、0が1になり始めた。
なるほどこういう感覚か。
とは言っても100記事全てが読まれている訳ではなく、読まれてるのは1記事のみ。
以外にも、快楽適応についての記事である。
快楽適応という言葉事態があまり世に浸透していないらしく、検索すれば私の記事が2番目にくる。
この言葉と意味を知ったのは、エッセンシャル思考という本内のことである。
気になる方は読んでみるといい。
私の快楽適応の記事については、少し加筆もした。
温度を変えて集中力を回復する
人の体の環境適応能力は相当なもの。
温度もその一つ。
人はその室温にに慣れてくると、集中力が下がっていくらしい。
30分や1時間ごとにエアコンの室温を変えるのも一つの手。
温度に慣れてきたと感じたら、私は上着や靴下を脱いだり着たりしている。
家での作業でやるのがやりやすくておすすめ。
確かに少し意識が引き締まるような感覚がある。
温度と集中力の関係なんて、思いを馳せたことがある人は少ないかもしれない。
この話には一つの教訓がある。
集中力を持続させたい。
生産性を上げたいという人は、どんなことでも試してみるということだ。
エビデンスがある物事はもちろんのこと、自分力を発揮させる可能性のあることは、とりあえず試しているのである。
その中のいくつかは失敗に終わり、いくつかは正しい習慣として、自分の力を高めてくれるものとなる。
何でも試してみるのがいい。特に実験結果などのエビデンスがあるものは必須。
あの時、ふと思い立ってやってみたことが凄く重要だったな。
未来にそう思えるように、種を蒔こう。
長所は短所。またその逆も然り
自分の長所はなんだろうか。
考えてみても答えが分からない時は、自分の短所を探ってみるといい。
長所と短所は表裏一体であることがよても多い。
逆もまた然り。
私の例をあげると、私の長所の一つは弱者に優しいということ。
その逆に権力者には苦手意識があるというか、あまり一緒に過ごすのが好きでない。
(これは組織の中で考えれば短所と言えなくもない特性だと思っている)
自分の長所を活かせれば、人生を進めるのは楽になる。
才能が開花されるなどと大きなことを言いたい訳ではなく、単純にそこそこの労力で物事がうまくいくので楽だよということである。
歌うま女子高生の動画を見て
【ガチ恋注意】米津玄師 Lemon 歌うま女子高生 文化祭最高レベルでうまい、、、
朝TVをつけてたら、紹介していた動画。
この女性は歌の訓練を特にしている訳ではないという。
歌には才能が大きいなと思う。
努力と練習が大きく左右する物事と、運動能力のように才能が大きく物を言う物事がある。
いくら努力しても勝てない分野というのがある。
自分は何が好きか。と、
何なら才能があり楽勝できるか。
この二つは別個に考えるとよい。
好きなことでも特別な才能がないなら、趣味に留めておくべきこともある。
そんなに好きなことでなくても、才能があるなら、お金稼ぎのためと割り切って自分の人生に取り込むのも良手である。
パートナーに依存すると、パートナーに腹が立つようになる
家族やパートナーに腹が立つ。
果たしてその時に相手が悪いのか。
自分の中に根本の原因がないかと思考してみる。
相手に依存していないだろうか。
相手に依存していると、相手に腹が立つようになる。
私にも覚えのあることである。
このカラクリに気が付くと、自分が依存心を無くせば相手への不満感や苛立ちはほぼ無くなるのだと分かる。
金銭的、精神的、業務的。
なんでも一緒。
自分の根幹となる部分が相手に依存していれば、相手には自分の人生の生死与奪権があるということになる。
その相手を自分はどうしたいか。
上手くコントロールしたい。
こう考えるようになる。
相手をコントロールしたいという人間関係を健全に運営するのは至難の業。
本来はリラックスできる場所である筈の家。
その中での毎日の行動、言動が全て利害に元つく判断を強いられるからである。
精神が安らぐ筈がない。
この状態では、相手は日常を緊張させる元凶ということになる。
自分の利害に一致しない行動があれば、なお不安で憎しみが増すのが道理。
こういう理屈。
パートナーに依存する関係は健全には運営できない。
自分は経済的、精神的、業務的(生活の中の雑務)において自立していよう。
相手は基本的に相乗効果を生むべき相手である。
あなたが寄りかかる対象ではないということ。
強く生きよう。